Miyakawa Blog

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『絡新婦の理(じょろうぐものことわり)』読了

著書名:絡新婦の理(じょろうぐものことわり) 著者名:京極夏彦 ジャンル:推理小説 出版社:講談社 発売年:1996年

いやぁ、今回も楽しませて頂きました。「魍魎の匣」についで気に入った本だったかもしれません。

京極先生の「百鬼夜行シリーズ」を毎回読んでいて思うのですが、京極先生は毎回テーマというか、作風を替えているように思いますが、私だけでしょうか。

姑獲鳥の夏」は「中禅寺」というキャラクタとまやかし、そして、「呪い」など百鬼夜行シリーズ全体をとしての伏線をこの作品を通して読者に説明しているように感じ取っています。

魍魎の匣」では宗教、占い、超能力などの区別と、命と身体と脳の関係。

「狂骨の骨」では、宗教観と心理学(自己実現)の説明などなどです。

そして、今回読了した「絡新婦の理」は何を定義していたのでしょう。

本の冒頭では「あなたが絡新婦ですね」という書出しで始まります。これは読み終わるとよく分かるのですが、うまく出来た表現だったと思います。

彼女は全ての始まりだったわけですよね。

本書の中であまりにも数多くの殺人がおきました。大きく分けて2つまたは、3種類の殺人事件が起きました。

それぞれに複数の殺人事件が起きました。

そして、大勢の人間が巻き込まれていったのです。

その事件の中心にあった、この「本のテーマ」はなんだったのでしょう。

繰り返しになりますが、「姑獲鳥の夏」では「世界観の定義(主人公の説明、呪い、まやかしなどの世界観)」、「魍魎の匣」では「宗教や占い、超能力といったもの区別。脳と命と身体の関係」をテーマとしていると私は考えています。

では、「絡新婦の理」では?

この本ではテーマはあえて無く、強い得て言えば「姑獲鳥の夏」から「鉄鼠の檻」までの集大成が「絡新婦の理」に科せられたものでは無かったのかと思いました。

集大成だったと考えると「絡新婦の理」はまさに作者から読者への挑戦状でもあったのかもしれません。

私が「読者への挑戦状」と考えた理由は「関口くん」です。

彼は今回の作品ではほとんど出てきませんでした。

しかし、最後の最後に出て来たではありませんか。

本来、読者の視点で事件に関わり翻弄され、中禅寺に面倒なため厭きらわれる関口くんが作中はほとんどいない(いなかった)のです。

今から考えるに「今回、関口くんがいないのだよ。読者自身が関口の役どころになる。覚悟して頁を捲るように・・・」と、中禅寺が読者に話しかけていたのではないかと思います。そう考えると2回目読み返すのが楽しみになりますね。

もちろん、作中では関口くんの代わりに務まるキャラクタが出てくるわけですけど。

百鬼夜行シリーズを全て読了したら真っ先に読み返したい本の1冊になりました。

さて、このレビューを書いている時点で、次回作「塗仏の宴」は実は読み終わっております。

近日またレビューを公開したいと思います。

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